「いじめ問題の解決」めいたタイトルに魅かれて読んだ。端的に言うと、どうも個人的にはどうしても社会心理学という学問が信じられない、というのが率直な感想。まず、社会が安心社会(社会がリスクを負う代わりに個々人はよそ者排除)と信頼社会(個人主義;自分で信じられる人を見抜かねばならない)に分けて、日本が前者から後者に移行している現代、まだ人々は前者の思考を引きずっている所から様々な問題が生まれると、言ってみればほんの十数㌻で済むような内容を二百五十㌻に渡って書いている。ただ、筆者も書いているが、ある社会が単純に「安心社会百%」なんて言う事はありえないので、この図式はあくまでも分かりやすくしたもの。でも、そんなの近代と前近代の社会学で十分証明されているのではなかろうか。問題は、個人としての人間には違いはないと思えるのにどうして、世界で様々な文化が分かれ、東洋は安心社会、西洋は信頼社会に向かったのかという事で、そういった歴史的な構造を考えないなら、概念分析ですべて片がついてしまう。これは最後の武士道と商人道も同じ。二つの図式を作って、分かりやすい言葉でそれを定義するとあ~ら、不思議、何となく解けたような錯覚に陥るが、実は何も言っていない。だいたい今の日本文化が武士道的だなんて、それはこじつけでしょう。もう一度言う。「心理」とは一言で言い切れるようなものではない。人によって、また一人の人間においてもTPOにおいて、武士道的であったり、商人道的であったりする。そういったあやふやな概念で物事を説明しても何も解決しない。これは「いじめ問題」における「臨界質量」の問題もほぼ同じ。そんな事、現場の教師で一定のキャリアを積んでいる者ならほぼ誰でも知っているよ、というような話。
実はこの本で語られているのは、心理学という学問の存在意義とは何かという事。(これは私に言わせれば経済学なんかも同じ。一体、経済学者でこの歴史における経済現象を矛盾なく説明している人はいるのだろうか?ちなみにFXも株もその実態はただのギャンブルにしか過ぎない。未来予測確率はどんなに勉強してもしなくても50%を越える事はありえない)
現実の問題を解決するためには現実の問題を分析するしか方法はない。企業の不祥事を社会心理学的に解説するなど、新聞のコラムじゃあるまいし、私にはその意図が全く分からない。それで、何を、どうしようと言うのだろう?